きゅうりで書いた染み

移行しました。 大学5年生の負け組クズによる思い付きの記事や書評など

「成長」という言葉の気持ち悪さはなんだ

「成長」とか「自己成長」とかいう言葉、就活を経験してめっちゃ良く聞く気がします。正直気持ち悪い。

 

それって、気持ち悪いと思う自分がいけないんだろうか。それとも「成長」したがる奴がホントに気持ち悪い奴なのか。

 

 

"気持ち悪いと思う俺の問題?"

 

 

必死な人や真面目な話に対して「なんかダサい」「気持ち悪い」という感情を持ったり、抵抗感を抱く人は多いのではと思います。
以下のような事は無気力至上主義のような共通する感情に由来しているのではないでしょうか。

 

・努力は専ら影でする
・中学の英語の授業で発音がめっちゃ良い奴を馬鹿にする
・体育の授業で必死にならない
・「意識高い系」の大学生を馬鹿にする
・友達どうしで政治の話題を避ける
・逆に無気力がかっこいいと思う
・「成長」という言葉がカルトっぽく聞こえる



私は学生時代から無気力キャラで、自分の能力を100パーセント出すことから忌避していました。

そして、その上で「自分は本気出せば凄いんだ」と思おうとしていた。痛いですね😂
私は以前は「成長」という言葉が気持ち悪くて大嫌いでした。そして、「成長」を嫌いだと考えていたのも、無気力キャラな自分の悪い習慣だったのかもしれないと思ってきています。

中二病だと思いましたか?

いえ、大二病です。(違い不明)

 

https://www.amazon.co.jp/大二病-「評価」から逃げる若者たち-双葉新書-難波-功士/dp/4575154458

 

 

「能ある鷹は爪隠す」とも昔から言いますね。
無気力(不真面目)がカッコいいって風潮がある気がするのですが、どこからやってくるのでしょうか?

私の場合は、本気で勝負する事や他人に評価されることに対する逃避の感情だったと思います。

 

 

もう一点、考えられるのは「人類みな平等」に対する「甘え」であるとおもいます。

 

ナンバーワンにならなくていい、オンリーワンになれだぁ?

 

ふざけるな。

オンリーワンていうのは、その分野のエキスパート、

ナンバーワンのことだろうが。

ドラゴン桜の名言。

平等とか、オンリーワンとか、そういうタテマエに侵されてきた人間の、

要は、競争からの忌避です。ゆとり〜

 

しかし結局はそのタテマエをどこまで真に受けるか、全て排除するのかという問題に帰結するのだとおもいます。

それが後半に関連します。

 

 

 

 

 

 

 

"「成長」したがる奴がホントに気持ち悪いのか"

 


一方で実際、私が「成長」を考えらきっかけとなった、就活というものが気持ち悪いとか不合理だとか批判されたりしますよね。
ワークライフバランスが主張されてきたり、仕事第一の社会も変わりつつある事が背景にあると思います。

就活狂想曲

m.youtube.com



 

この気持ち悪さの由縁は、人間に対する包括的で単純かつ一方向の評価が由来するのではないかと思います。

 

まず、「成長」という考えの前提条件として「人間丸ごとの、包括的な価値に優劣がある」という考えがあるということです。

また、どちらのベクトルが「優れている」かというのは評価する者によって様々であり、それを無視してあたかも皆が同じ方向を向いているかの如く述べる「成長」という言葉に原因があるのかもしれません。

例えば、

口数が少ないことを「落ち着いている」と評価するか「陰気だ」と評価するか

同じ事実であってもどちらの方向が良いか、というのは個々人の価値観によって大きく変わってしかるべきです。たしかに、皆が同じ方向を向いている(向かされている)というのは全体主義を彷彿とさせさえします。

さらにはどの能力をどのくらい重視するか、という問題も関わってきます。

例えば、

頭が良くなったけど陰気になったとすると、「人として」成長したでしょうか。

 

以上のことをまとめると、問題の根源は多元主義的な能力評価の欠如であると言っていいでしょう。

しかし、これを重視しすぎる事は競争の回避、「ゆとり〜」かもしれません。

 

 

日本のコミュニティ的企業文化は、個人の包括的評価・価値付けに大いに寄与しているのではないかと思います。

 

イノベーションに対応できる人事異動やジョブローテーションを前提に「ゼネラリスト」を育成、新卒採用では「ポテンシャル採用」、終身雇用を前提とするための「1億円の買い物」をする。

こういうシステムなら「一芸に長けたスペシャリスト」より、「なんでもできる優秀な人間」が欲しいとなるでしょう。

 

(理系の世界ではもうちょい状況が違うのかな?)

 

「ハイパー・メリトクラシー」はこう言った背景を指摘したものではないでしょうか。

ちな、読んだことない。

https://www.amazon.co.jp/多元化する「能力」と日本社会-―ハイパー・メリトクラシー化のなかで-日本の%E3%80%88現代〉13-本田-由紀/dp/4757141041

 

 

ダラダラ書き殴りましたが、かつては「成長」が嫌いだったくせに、私は就活中「自己成長」って100回くらい言いました。

 

確かに結局のところ「出来る奴はなんでも出来るし、出来ない奴は何にもできない」(桐島?)というのが、ある程度真実なのかもしれないと思っています。

だって、そういうシステムで「日本的企業」は世界3位の経済大国を支えてきたわけです。(持論やけどな)

 

今でも私は包括評価クソッタレ、就活クソッタレ、ナメやがってクソクソクソって思ってますけど

気に入らないなら、自分がそういう社会の中で勝ち上がって変えるしかないんですよね

 

だからボク、成長するぞ!💫💫

↑オチのつもり